町指定

彫刻

56 堀内相福寺 阿弥陀如来坐像

ほりうちしょうふくじ あみだにょらいざそう

堀内相福寺 阿弥陀如来坐像

寄木造、玉眼嵌入、肉身部漆箔、着衣部泥地漆塗。

像高
53.3cm
膝張
腎張43.8cm
腹厚
17.6cm
光背高
81.1cm
台座高
55.7cm
時代
中世作

現在の本尊。右手は屈臂して胸前にあげ、左手は掌を仰向けて膝上に置き、いずれも第一指、第二指とを捻じ、いわゆる上品中生[じょうほんちゅうしょう]の説法印を結ぶ。頭部は耳前で前後に矧ぎ、躯幹部は前後二材に両肩部、膝部は横一材に裳先、そして両腰部に三角材をそれぞれ矧ぎつける。脚部内側は刳り上げ、底板はない。両手首先、漆箔、漆塗、肉髻珠[にっけいしゅ]、光背、台座などは後補。
本像はやや低めの膝部や両膝間の波状の衣皺に宋元風の特色が認められる。しかし小粒な螺髪、表情の明るい丸めの顔、上半身部の整理された衣皺、あるいは服制などは宋元風とは異った穏和な作風を示す。
天明8年(1788)の鎌倉光明寺からの送り状によれば、本像は光明寺の秘仏であったのである。光明寺本尊の木造阿弥陀如来坐像は鎌倉前期の作であるが、頭部、上半身部、服制等は本像ときわめて近い特色を備えている。膝部には宋元風の要素があり、彫技はのびやかさを保ち、量感にも富む。
光明寺は仁治元年(1240)佐助ヶ谷に開かれた蓮乗寺がその前身と伝えられる。又良忠開山の700年遠忌は昭和61年だった。確証がある訳ではないが、この光明寺から移安された阿弥陀如来像は、光明寺の秘仏だったとあるから、或は蓮乗寺の本尊だったのかも知れない。若しこの想像が当っているとすれば、光明寺の現本尊より古いことになる。いづれにしても天明8年の送り状まで保存されていたことは、信仰史上甚だ貴重で葉山町に遣る中世彫刻の佳例として、その価値はきわめて高い。

分類/区分 町指定文化財第41号 有形文化財 彫刻
所在地 堀内568
所有者等 相福寺
指定年月日 昭和 62年 10月 29日
年代 中世頃作
員数 1躯