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町で見かけた「葉山のはてな?」
探ってみると、 そこには
町や人の意外な姿が見え隠れ。
まだ知らない葉山への
知的好奇心の探検をお楽しみ下さい。 |
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| 葉山の山の話
葉山で一番高い山はどの山だと思いますか。
調べていくと、おなじみの山頂マークの▲は国土地理院の地形図では使われていないということがわかりました。そして は測量基準点、・(点)付きの数字は標高点で山の高さを表しますが、地図により数字が違っていたりします。
昭和36年頃始まったゴルフ場造成とその後の湘南国際村工事により、約230m級の仏塚山(ほとけづかやま)一帯の尾根が削られましたが、仏塚山は山名が残っています。
ふつう山が削られると山名は消え、次に作られた施設の名で呼ばれるようになるので、例えば宝金山(ほうきんざん)があったあたりは今では「グリーンパーク」と名付けられています。国土地理院の2万5千分の1の地形図では山名は斜体で書か
れており、削られても斜体文字の「仏塚山」は山なのです。
葉山町のホームページ上の地図では、▲ (山頂マーク)がつき山名の記された山は5つしか掲載ざれていません。しかし▲も
もありませんが、実は葉山で1番高い山は上山口の215mの「仏塚山」ということになります。
『葉山町80年の歩み』 (平成16年発行)の中の地図には6つ目として仏塚山が▲付きで掲載ざれています。
こんな狭い範囲の葉山町でさえ地図ごとに山の表記がまちまちだということも分かってきました。
地図にない山名をご存じの方は編集部までお知らせください。(地図上の標高は国土地理院の2万5千分の1と1万分の1の地形図から、かっこ内の山名は地元の通称です。)
記事:くれ竹通信Vol.34[2006.11]より
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誰が名づけた「シンデレラ階段」
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「シンデレラ階段」を耳にしたことがありますか。いったい、誰が、どうして、こんな夢のあるネーミングをしたのでしょうか。これこそ「葉山のはてな?」だと改めて調べてみました。
葉桜の自治会の人たち、南郷中の先生、長柄小の元先生、近所の人たち‥。
いろいろな人にたずねてみました。でも、皆さん、一様に「子どもが使っているのは知っていたけれど、ネーミングの由来は考えたこともなかった」という返事。知っている人は、だれもいない。
調べていくうち、階段の中程に住まわれている綾部さんから、「できたばかりの頃は、コンクリートが、真新しく真白で、きれいだった」 という証言(?)がありました。
また、ご近所の大村さんから、「階段の幅や奥行の広さのわりに、一段が低くて、絵本に出てくるシンデレラの階段に似てみえたのかも……」 という証言もありました。
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場所は、長柄の仙光院から、松久保川に沿って、木立寺方面に少し歩き、葉山町指定重要文化財の、長柄上庚申塔のところにその登りロがあります。
現在は、木が両側からかぷさっていて、ちょっとうす暗い感じ。
下からは少しふつうの階段なのに、中ほどの綾部家の前から坂道になっていて、そこをもう少し登ると、なんとありました。シンデレラ階段らしきものが。
一段が幅39cm、奥ゆき67cmと広いわりに、高さがわずか8cmの階段が、ゆるやかな力ーブを描いています。
一度のぼっておりてみると、トントントンと、ちょっとかけおりるような感じ。小さな子どもは想像の世界で遊べる天才です。土の中から掘り出した小石が宝石に。山道で拾った棒きれが、魔法の杖に。そして、この階段をトントンかけおりる時、すっかりシンデレラの気分になったのかもしれません。
名づけられた真相はわからなくても、その時の子どものウクワクする心は伝わってくるようです。
記事:くれ竹通信Vol.28[2005.11]より |
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葉山公園近く134号線に沿って、風にひるがえる「のれん」に「男
女」とあります。はて何の店かと思わせますが、のれんの脇には床屋さんの赤、青、白のねじり棒が廻っています。「いやあ、よく銭湯と間違えてタオルを持って来る人がいますよ。夏場の週末には必ず何組か、若い女性たちが一風呂浴びたいと入って来て、アレッという顔をします。」とご主人の山口昌男さん。こののれん、山口さんが理容師に加えて美容師の免許をとった時に、床屋とパーマ屋を兼ねるマークとして、銭湯の
にヒントを得てデザインし、呉服屋に特注したすぐれものです。のれんを掲げてもう十数年、雨風にうたれるので現在ののれんは2代目、そろそろ又、新しくしなければ、とのこと。
葉山の床屋さんは現在13軒、ここ数年の間にすでに6軒が廃業したそうです。そうした中で、山口さんは男女共、若い世代にアピールしようと決めています。10代の男性の7〜8割は美容院へいく昨今、男性にはキムタク風やベッカム風などの注文に応じた髪型を、そして若い女性には毛量調整、髪延ばし、色つけなどの細かい工夫を。若い世代のニーズに応える努力こそ生き延びる道、という山口さんの意識がこののれんに表れているのでしょうか。
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森戸神社境内で催されるビッグハヤママーケットでも、毎年のように調髪デモンストレーションを行う山口さん、去年はその場でモデルになった9割は女性だったということです。
記事:くれ竹通信Vol.18[2004.3]より
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| 水源地は語る

記事:くれ竹通信Vol.17[2004.5]より
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| 貯水槽をもう一つ〜葉山家の大樽〜
堀内葉山家の貯水槽は大きな樽で、屋根の高さにそびえています。葉山家は江戸時代から続く旧家で、明治初年から昭和の中ごろまで、ひろく醤油醸造業を営んでいました。
この大樽は、一色「オケキン」の先代が30〜40年ほど前に造ったもので、樽としてはまちがいなく葉山一の大きさだそうです。高さも直径も2メートル近くあるので、一升瓶にすると3000本位は入る大きさと言えましょうか。
葉山家によると、この大樽に水を溜めておいて、下の作業場で醤油瓶を洗う用水に使っていたそうで、水道が引かれてからは水道水を樽に上げていましたが、うっかりしていると水がザー!とあふれるのが悩みの種だったとのことです。醤油醸造をやめてからは、水まきや洗い水に利用していましたが、6年前に水漏れしてから、使わなくなったといいます。
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さて前号で紹介した貯水槽について、わが家にも同じものがあったという堀内の方から、あれは浄水槽ですよ、という意見が寄せられました。中に、砂利、炭、シュロの葉などを入れて水を漉してきれいにした、ということです。ま、水を溜めるときに漉してきれいにした、と考えると貯水槽でもあり、浄水槽でもあったのでしょうか。 |
記事:くれ竹通信Vol.16[2003.11]より
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風早橋・中村さん宅 |
給水塔を見たことありますか
葉山の町には、気をつけてみると今でも井戸が方々に残っています。葉山町が、県企業庁水道局の前身である県営湘南水道の給水区域に編入されたのが70年前の昭和8年ですから、それ以前は、町民の生活用水はすべて井戸だったわけです。
右は高さ2.5メートルはあろうかという給水塔です。海岸通り・元町の小峰八郎さんのお宅。母屋は明治23年、112年前の建築で葉山でも最も古い建物の一つ。かつては、庭の井戸から手こぎポンプで給水塔に水を揚げ、生活用水をまかなっていましたが、小峰さんが子供の頃はもう水道が引かれており井戸は使っていなかった、といいます。ですから、70年も使われないまま残っていることになります。「とくに理由はないんですが、井戸をつぶすのはよくないとも言いますし」というのが小峰さんの弁。
風早橋ちかくの中村テイさんのお宅にも給水塔が残っています。給水塔より給水槽と言うべきでしょうか、やぐらにのっていますね。中村さんが引っ越してきたのは50年前、すでに水道があったので、この給水塔は使ったことがないそうで、こちらも50年間放置されていたことになります。「じゃまにもならないし、手がまわらなくてそのままです。昔は、ご近所どこにもあったんですが、みんな取り払われてしまって、うちだけになりました。」
記事:くれ竹通信Vol.15[2003.9]より
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元町・小峰さん宅 |
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お地蔵さん、どうしました?
お地蔵さんと言えば、やさしい微笑みが目に浮かびます。ところが、一色の"夜泣き石脇の庚申塔"の六地蔵には、6体とも
首がありません。どうしたことでしょう?
ここばかりではありません。首のないお地蔵さんを見かけるのは珍しくもないようなのです。同じく一色の玉蔵院を訪れますと、やはり六地蔵のうち5体の首があり ません。いずれも江戸時代につくられたお地蔵さんと見られています。
郷土史家の松本昭さんに聞いてみますと「江戸時代でしょうか。ばくち打ちがお地蔵さんの首を持ってばくちを打ちに行と運がつく、という言い伝えがあったようです。それで首を欠いたのかも知れません。しかし、文献等で確かめたわけではないので、はっきりしませんね」
玉蔵院住職の本多清法さんは「私は廃仏棄釈の時にやられたんだと思いますよ。
明治元年に神仏分離令が出て、神社と寺院の争いが起こり、お寺や仏具などが破壊されましたからね。しかし確かなことはわかりませんね」
さて確かなことは歴史の闇の中に消えてしまったのでしょうか?
記事:くれ竹通信Vol.14[2003.7]より
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ボトルは看板です |
長柄交差点旧道脇 |
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記事:くれ竹通信Vol.13[2003.5]より
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堀内・森戸神社前 |
このポスト現役です。
はて、ポストが引っ込んでしまったようでもあり、
ブリキの塀がポストを包み込んでしまったようでもある。このお宅で伺うと「なにしろ何十年もこうなっていますんでねえ」
葉山にある49のポストのうち、この葉山でおなじみの円筒型レトロ風ポストも今では10本。もう製造中止なので、いずれは箱型ポストにとって代わられ、姿を消す運命とか。
記事:くれ竹通信Vol.12[2003.3]より |
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